2002-08-29 第154回国会 参議院 決算委員会 閉会後第3号
これについては、少し古いですけれども、昭和四十七年、衆議院社労、大蔵、物特の連合審査会におきまして、当時の水田大蔵大臣の答弁として、「この累積赤字は今後の保険会計の別ワクに出して、国が責任を持つということをはっきり書いた」と、こういう御答弁がございます。
これについては、少し古いですけれども、昭和四十七年、衆議院社労、大蔵、物特の連合審査会におきまして、当時の水田大蔵大臣の答弁として、「この累積赤字は今後の保険会計の別ワクに出して、国が責任を持つということをはっきり書いた」と、こういう御答弁がございます。
そのとき、宮澤さんはいつも一貫して、土地政策において税制は補完的な役割を果たす、それが先輩、水田大蔵大臣からも言われた原理ですと。補完的役割という言葉は歴代政府税調の中でもずっと使われました。大蔵大臣ばかりではなく、自治大臣もずっと使われました。そのために、少なくともバブル発生の多くの期間、税制は何も機能を発揮しませんでした。私は、これがもう一つの大きな失敗であったと思っております。
昭和四十六年に、水田大蔵大臣のとき、私はちょうど幣制担当の理財局長をしておりまして、このデノミを検討しよう、そこの労働大臣のお父さんの鳩山威一郎さんが当時次官で大変な熱心なデノミ論者、やろうじゃないですかということでもっていろいろ準備しまして、大体まあ二年以内の準備期間があればやれるというところまで実はいったわけでありますが、その後、ニクソン・ショックがあったりいろんなことがありまして、オイルショック
私は、当時水田大蔵大臣でございまして、直ちに水田大蔵大臣に、市場を閉鎖してください、混乱しますから市場を閉鎖してくださいと申し入れました。ところが一向に返事が来ません。
当時大蔵大臣が水田さんでございまして、主税局長が高木さん、そうして厚生省は、たしか池田さんの秘書官をやっておられたと思いますが、登坂重次郎さんが実は厚生政務次官でございまして、この水田大蔵大臣、それから登坂厚生政務次官、そうして高木主税局長ということで一人法人という問題を取り上げさせていただいたのであります。
水田大蔵大臣とちょうちょうはっし、かなり激しくやり合っている様子を読み、また当時既に一人医師医療法人というものを掲げられた先見の明といいますか、それが今実っているのだなということを感じまして、当時からも、国会議員になる前から兵庫県の医師会の税制対策委員長としてそういう問題を十分研究された長年のうんちくを改めて感じまして、大変これは見識のある御意見だし、私自身も当選以来ずっと大蔵委員会に席を置かせていただきまして
いろいろ当時の水田大蔵大臣、村山達雄主税局長、現在自民党の税制調査会の副会長でおられますが、石野信一銀行局長と論議をさせていただきまして、今やっているからしばらく待ってくれというお話で、では一年待ちましょう。一年待って、やはりちゃんとできませんでしたから、昭和三十八年に一種類、一店舗、五十万円の少額貯蓄非課税制度というのを実は自民党の皆さんと御相談しながらつくった。
そのことは我が国においても同様であり、昭和四十三年、当時の水田大蔵大臣は、衆議院大蔵委員会で、当時の大蔵委員長は田村通産大臣ですからよく御記憶だと思いますが、今後やはりココムの規制緩和というような方向に努力していけばいいのじゃないかというふうに考えておりますと答弁しています。このように、政府は過去二十年にわたり緩和の方針を堅持し続けてまいったわけであります。
基本的にはココム自体が冷戦構造の中でできたものであるということで、既に昭和四十二年でございますか、水田大蔵大臣時代に、いみじくも当時大蔵委員長が田村現通産大臣だったということのようでございますけれども、むしろこれは解消、縮小すべき性格のものであるという方向にあったわけでございます。
二十六年前に私は大蔵委員会で、この不公正な、乱用されておる国民貯蓄組合を改めるように水田大蔵大臣に求めました。政府は今いろいろと、昭和三十二年に通達を出してやっているから、しばらく待ってくれということでありますから、一年お待ちいたしましょう、一年待って十分でなかったら法律の改正をしてくださいと申し上げて、昭和三十八年に御承知の少額貯蓄非課税制度が実行されることになったのであります。
宮澤大蔵大臣も御出席をいただいて、私の論議を聞いていただいたわけでありますけれども、簡単に御紹介しますと、「最初に、昭和四十二年四月十九日、今から約二十年前でございますけれども、ここで実は私は、水田大蔵大臣と当時の磯崎副総裁に来ていただきまして、ちょっと論議をしております。ポイントだけをちょっと申し上げます。」
最初に、昭和四十二年四月十九日、今から約二十年前でございますけれども、ここで実は私は、水田大蔵大臣と当時の磯崎副総裁に来ていただきまして、ちょっと論議をしております。ポイントだけをちょっと申し上げます。
その当時、アメリカは今の国務長官のシュルツさんが財務長官でありまして、日本は水田大蔵大臣の時代であったわけでありますが、そのときに、いろいろな議論を毎日報告を受けながら、結局変動相場制しかないんだなという感じがいたしました。だから、介入するというのは悪だという感じすら当時は持ったわけでございます。
それでいろんな人に聞きまして、水田大蔵大臣、一緒に勉強しようやということでした。福田先生が外務大臣で、おれがロンドンにおったころは二円だったというような話でございましたが、すぐのことにはなかなか間に合いませんし、田中角榮先生が通産大臣で、燕の洋食器はどうなるかなと非常に現実的ではありますが、本当にその際困って大変な勉強をしたわけです。
いわゆる戦後処理問題というのは、昭和四十二年でございましたか水田大蔵大臣、塚原総理府総務長官、福田赳夫先生が政調会長でございましたか、一応これにて打ちどめというような申し合わせがございますものの、その後、客観的に見て今総理府からも答弁のあったような経過で今日に至っておる。どういう中身でこれから御審議なさるかというのは、必ずしも私も詳しく存じておりません。
ところが、第四十回国会衆議院の大蔵委員会で当時の水田大蔵大臣が「私はこの種の演劇その他の入場税というものは、実際は税としては悪税で、これは将来撤廃すべきものだというふうに考えています」と答弁しているにもかかわらず、その後政府は、間接税体系の合理化を図るためとか、あるいは同種のサービス課税である通行税や娯楽施設利用税等の均衡を保つためとか、サービス消費が急増しているところから、さらに物品、サービス課税
ですから、これは第四十回国会で当時の水田大蔵大臣も、この種の入場税というものは実際は税としては悪税で、これは将来撤廃すべきものだと考える、こういう答弁をしております。 にもかかわらず、今まで撤廃されずに来たわけでありますが、竹下大蔵大臣として、これは悪税とお考えかどうか、そして今回は撤廃しなかったんですけれども、将来としては撤廃という方向で考えるべきものかどうか、お聞きしたいと思います。
特に文化国家という面からはこれは矛盾するんじゃないかという議論が高まって、そして水田大蔵大臣のような答弁があって、そしてやっぱり方向としますとだんだん下降線をたどって免税点を引き上げ、やがて撤廃という方向に進んでおったかに感じておったんですが、今の大蔵大臣の答弁ですと、サービス税制、要するに情勢が変わってきたということからいきますと、せっかく着陸しかかったのがまた今度上へ上昇するんじゃないか、こんな
ところが政府は、第四十回国会衆議院の大蔵委員会で、当時の水田大蔵大臣が、私はこの種の演劇その他の入場税というものは、実際は税としては悪税で、これは将来撤廃すべきものだというふうに考えています、と答弁しているにもかかわらず、間接税体系の合理化を図るためとか、あるいは同種のサービス課税である通行税や娯楽施設利用税等の均衡を保つためとか、サービス消費が急増しているところから、さらに物品、サービス課税を強化
私は、水田大蔵大臣以降、随分多くの大蔵大臣と意見の交換をしてまいったのでありますが、それぞれの大臣には大臣の思想があり、手法があり、大変特徴を持った大蔵大臣もおりました。
大臣、昭和三十七年、当時の水田大蔵大臣が、入場税は税として悪税だと思う、将来は撤廃すべきものと考える、というふうに述べておられます。入場税は今日ぜひ撤廃をしていただかなければならないと私も思いますが、芸術、文化に税を課するなんというのは文化国家のすべきことではない、実に野蛮なことだという指摘もございます。
余り経済効果がないというような議論をしている向きもありますけれども、かつて大蔵大臣でおられました、亡くなりましたが、水田大蔵大臣は、公共事業は大変経済効果があるんだ、建設国債を発行することは、いわゆる赤字国債とは別なんだという答弁をしておりまして、そういう古い速記録を私ども拝見して、そのときそのときでいろんな議論が出てくるものだというふうに思っておりますが、同時に私どもは財政再建を一体どういうふうに
ところが、それがもし今度上げられるということになれば、これは非常に重大な問題であるということで、昭和三十七年に水田大蔵大臣は答弁の中で、入場税は税として悪税と思う、将来は撤廃すべきものと考えるという答弁をされたということが引用されております。
水田大蔵大臣に連絡しましたら、すぐ一緒に勉強しようやということでした。福田外務大臣は、そうだね、おれがロンドンにおるときは二円五十銭だ。田中通産大臣は、燕の洋食器はどうなるかな、それぞれ余り決め手になる話じゃなかったようです。ちょっと申しわけありません、長くなりますが。大蔵省顧問が柏木さん。