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686件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1998-08-17 第143回国会 衆議院 予算委員会 第2号

そのとき、宮澤さんはいつも一貫して、土地政策において税制は補完的な役割を果たす、それが先輩、水田大蔵大臣からも言われた原理ですと。補完的役割という言葉は歴代政府税調の中でもずっと使われました。大蔵大臣ばかりではなく、自治大臣もずっと使われました。そのために、少なくともバブル発生の多くの期間税制は何も機能を発揮しませんでした。私は、これがもう一つの大きな失敗であったと思っております。  

菅直人

1994-06-02 第129回国会 衆議院 予算委員会 第15号

昭和四十六年に、水田大蔵大臣のとき、私はちょうど幣制担当理財局長をしておりまして、このデノミを検討しよう、そこの労働大臣のお父さんの鳩山威一郎さんが当時次官で大変な熱心なデノミ論者、やろうじゃないですかということでもっていろいろ準備しまして、大体まあ二年以内の準備期間があればやれるというところまで実はいったわけでありますが、その後、ニクソン・ショックがあったりいろんなことがありまして、オイルショック

相沢英之

1989-03-22 第114回国会 衆議院 大蔵委員会 第4号

当時大蔵大臣水田さんでございまして、主税局長高木さん、そうして厚生省は、たしか池田さんの秘書官をやっておられたと思いますが、登坂重次郎さんが実は厚生政務次官でございまして、この水田大蔵大臣それから登坂厚生政務次官、そうして高木主税局長ということで一人法人という問題を取り上げさせていただいたのであります。  

堀昌雄

1989-03-22 第114回国会 衆議院 大蔵委員会 第4号

水田大蔵大臣ちょうちょうはっし、かなり激しくやり合っている様子を読み、また当時既に一人医師医療法人というものを掲げられた先見の明といいますか、それが今実っているのだなということを感じまして、当時からも、国会議員になる前から兵庫県の医師会税制対策委員長としてそういう問題を十分研究された長年のうんちくを改めて感じまして、大変これは見識のある御意見だし、私自身も当選以来ずっと大蔵委員会に席を置かせていただきまして

小泉純一郎

1987-08-27 第109回国会 衆議院 大蔵委員会 第7号

いろいろ当時の水田大蔵大臣、村山達雄主税局長、現在自民党税制調査会の副会長でおられますが、石野信一銀行局長論議をさせていただきまして、今やっているからしばらく待ってくれというお話で、では一年待ちましょう。一年待って、やはりちゃんとできませんでしたから、昭和三十八年に一種類、一店舗、五十万円の少額貯蓄非課税制度というのを実は自民党の皆さんと御相談しながらつくった。

堀昌雄

1987-08-20 第109回国会 衆議院 本会議 第10号

そのことは我が国においても同様であり、昭和四十三年、当時の水田大蔵大臣は、衆議院大蔵委員会で、当時の大蔵委員長田村通産大臣ですからよく御記憶だと思いますが、今後やはりココム規制緩和というような方向に努力していけばいいのじゃないかというふうに考えておりますと答弁しています。このように、政府は過去二十年にわたり緩和の方針を堅持し続けてまいったわけであります。  

緒方克陽

1987-08-18 第109回国会 衆議院 本会議 第9号

二十六年前に私は大蔵委員会で、この不公正な、乱用されておる国民貯蓄組合を改めるように水田大蔵大臣に求めました。政府は今いろいろと、昭和三十二年に通達を出してやっているから、しばらく待ってくれということでありますから、一年お待ちいたしましょう、一年待って十分でなかったら法律の改正をしてくださいと申し上げて、昭和三十八年に御承知の少額貯蓄非課税制度が実行されることになったのであります。

堀昌雄

1986-12-12 第107回国会 衆議院 大蔵委員会 第3号

宮澤大蔵大臣も御出席をいただいて、私の論議を聞いていただいたわけでありますけれども、簡単に御紹介しますと、「最初に、昭和四十二年四月十九日、今から約二十年前でございますけれども、ここで実は私は、水田大蔵大臣と当時の磯崎総裁に来ていただきまして、ちょっと論議をしております。ポイントだけをちょっと申し上げます。」

堀昌雄

1986-05-07 第104回国会 衆議院 大蔵委員会 第18号

その当時、アメリカは今の国務長官のシュルツさんが財務長官でありまして、日本は水田大蔵大臣時代であったわけでありますが、そのときに、いろいろな議論を毎日報告を受けながら、結局変動相場制しかないんだなという感じがいたしました。だから、介入するというのは悪だという感じすら当時は持ったわけでございます。  

竹下登

1986-03-05 第104回国会 衆議院 大蔵委員会 第6号

それでいろんな人に聞きまして、水田大蔵大臣、一緒に勉強しようやということでした。福田先生外務大臣で、おれがロンドンにおったころは二円だったというような話でございましたが、すぐのことにはなかなか間に合いませんし、田中角榮先生通産大臣で、燕の洋食器はどうなるかなと非常に現実的ではありますが、本当にその際困って大変な勉強をしたわけです。

竹下登

1985-05-21 第102回国会 衆議院 大蔵委員会 第22号

いわゆる戦後処理問題というのは、昭和四十二年でございましたか水田大蔵大臣、塚原総理府総務長官福田赳夫先生政調会長でございましたか、一応これにて打ちどめというような申し合わせがございますものの、その後、客観的に見て今総理府からも答弁のあったような経過で今日に至っておる。どういう中身でこれから御審議なさるかというのは、必ずしも私も詳しく存じておりません。

竹下登

1985-03-28 第102回国会 参議院 大蔵委員会 第8号

ところが、第四十回国会衆議院大蔵委員会で当時の水田大蔵大臣が「私はこの種の演劇その他の入場税というものは、実際は税としては悪税で、これは将来撤廃すべきものだというふうに考えています」と答弁しているにもかかわらず、その後政府は、間接税体系合理化を図るためとか、あるいは同種サービス課税である通行税娯楽施設利用税等均衡を保つためとか、サービス消費が急増しているところから、さらに物品サービス課税

近藤忠孝

1985-03-28 第102回国会 参議院 大蔵委員会 第8号

ですから、これは第四十回国会で当時の水田大蔵大臣も、この種の入場税というものは実際は税としては悪税で、これは将来撤廃すべきものだと考える、こういう答弁をしております。  にもかかわらず、今まで撤廃されずに来たわけでありますが、竹下大蔵大臣として、これは悪税とお考えかどうか、そして今回は撤廃しなかったんですけれども、将来としては撤廃という方向で考えるべきものかどうか、お聞きしたいと思います。

近藤忠孝

1985-03-28 第102回国会 参議院 大蔵委員会 第8号

特に文化国家という面からはこれは矛盾するんじゃないかという議論が高まって、そして水田大蔵大臣のような答弁があって、そしてやっぱり方向としますとだんだん下降線をたどって免税点を引き上げ、やがて撤廃という方向に進んでおったかに感じておったんですが、今の大蔵大臣答弁ですと、サービス税制、要するに情勢が変わってきたということからいきますと、せっかく着陸しかかったのがまた今度上へ上昇するんじゃないか、こんな

近藤忠孝

1985-03-08 第102回国会 衆議院 大蔵委員会 第10号

ところが政府は、第四十回国会衆議院大蔵委員会で、当時の水田大蔵大臣が、私はこの種の演劇その他の入場税というものは、実際は税としては悪税で、これは将来撤廃すべきものだというふうに考えています、と答弁しているにもかかわらず、間接税体系合理化を図るためとか、あるいは同種サービス課税である通行税娯楽施設利用税等均衡を保つためとか、サービス消費が急増しているところから、さらに物品サービス課税を強化

簑輪幸代

1984-12-06 第102回国会 衆議院 大蔵委員会 第1号

大臣昭和三十七年、当時の水田大蔵大臣が、入場税は税として悪税だと思う、将来は撤廃すべきものと考える、というふうに述べておられます。入場税は今日ぜひ撤廃をしていただかなければならないと私も思いますが、芸術、文化に税を課するなんというのは文化国家のすべきことではない、実に野蛮なことだという指摘もございます。

簑輪幸代

1984-07-27 第101回国会 衆議院 建設委員会 第10号

余り経済効果がないというような議論をしている向きもありますけれども、かつて大蔵大臣でおられました、亡くなりましたが、水田大蔵大臣は、公共事業大変経済効果があるんだ、建設国債を発行することは、いわゆる赤字国債とは別なんだという答弁をしておりまして、そういう古い速記録を私ども拝見して、そのときそのときでいろんな議論が出てくるものだというふうに思っておりますが、同時に私どもは財政再建を一体どういうふうに

水野清

1984-03-09 第101回国会 衆議院 大蔵委員会 第5号

水田大蔵大臣に連絡しましたら、すぐ一緒に勉強しようやということでした。福田外務大臣は、そうだね、おれがロンドンにおるときは二円五十銭だ。田中通産大臣は、燕の洋食器はどうなるかな、それぞれ余り決め手になる話じゃなかったようです。ちょっと申しわけありません、長くなりますが。大蔵省顧問が柏木さん。

竹下登